JAM HISTORY

◆ ファイトストリート(1992年〜1998年)

NHKの教育テレビ番組「ファイト!」の1992年のアカペラ大会をきっかけに,
「ファイト!」の同窓会的イベントとしてプロ・アマ分け隔てなく全国から集合したアカペラシンガー達が,
ライブセッションを通して触れあえるストリートライブが行われた。
その後、この企画は多くのアカペラファンの手により引き継がれ1998年までに計7回行われた。


◆ アカペラメジャーズ(1998年)

関東において各々個別に活動してきた6大学アカペラサークルが始めて合同ライブイベントを企画
東京大学駒場祭において、1時間のステージ、6時間のストリートライブイベントを展開。


◆ 第1回JAM 〜 Japan A cappella Museum 〜(1999年)

ファイトストリートとアカペラメジャーズの流れを受けて、
お台場デックス東京ビーチ初のアカペライベントライブを行う。


◆ 第2回JAM 〜 Join the A cappella Movement 〜(2000年)

JAMをもう一度との声に応え、再びお台場でアカペライベントを企画。
規模を拡大し、歌い手だけでなく、彼らを乗せる会場や広報宣伝などにも力を入れ,
お台場から日本におけるアカペラ熱を発信していこうと画策。


◆ 第3回JAM 〜 Japan A cappella Movement 〜(2001年)

場所を横浜ランドマークタワー(ランドマークプラザ・ガーデンスクエア)に移して実施。
アカペラに対する視野を広げていただこうと、ランドマークタワーという人の往来が非常に盛んな立地で開催された。
プロ、アマを含めたバラエティ豊かな全12グループが出演、多種多様なアカペラストリートパフォーマンスを繰り広げた。


◆ 第4回JAM 〜 Japan A cappella Movement 〜(2002年)

再び横浜ランドマークタワーにて実施された第4回JAMは、より一層のアカペラファン層の拡大と、
歌い手と観客それにイベントの作り手も含めた交流の場としての役割を目指した。
ゲストのプロバンド1組を含む全14グループが出演、アカペラを通じた人と人の繋がりを発展させた。


◆ 第5回JAM 〜 Japan A cappella Movement 〜(2003年)

前年度とは場所を変え、池袋サンシャインシティにて開催した。
昼の部と夜の部に分けて、出演するバンドのカラーを変えたり、
会場の装飾を変えたりするなどの工夫を行った。
歌い手や観客・スタッフなどの立場上の壁を越え、
アカペラに関わるすべての人が楽しめるイベントを目指した。


◆ 第6回JAM 〜 Japan A cappella Movement 〜(2004年)

2004年のJAMは大崎ゲートシティにて開催した。
JAM2004自体以外にも、JAMセッションという名前のライブハウスイベントを数回開催し、
ストリートの「アカペラ公園」の場を使った宣伝や、屋外での宣伝ライブを行うなど、
ライブによる広報活動に重きをおいた。2004年度のコンセプトは「十人十色」。
出演バンドの多様なカラーを尊重し、あえて会場装飾は控えめに行い、
各バンドのカラーをステージで発揮してもらえるよう工夫した。


◆ 第7回JAM 〜 Japan A cappella Movement 〜(2005年)

場所を第1回、2回と行われたお台場デックス東京ビーチに戻し、レインボーブリッジ、東京タワーを背景に
した屋外ライブを行う。サブタイトルを『UTAGE~唄華~』と名付け、大会形式をとった。
BEST OF JAMに輝いたMike Pistonsはお台場メモリアルツリー点灯式のオープニングアクトに参加。


◆ 第8回JAM 〜 Japan A cappella Movement 〜(2006年)

テーマを『アカペラオリンピック〜輪〜』と掲げ、お台場デックス東京ビーチで開催。
「アカペラに関わる人々の輪を大切にし、そしてその輪を広げていきたい。
 そして、年齢や性別・立場等に関係なく、多くの人が楽しめる祭典でありたい。」
をコンセプトにして、同時に多くの人に目標となるようなイベントを目指しました。


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